那覇-R331-喜屋武岬,摩文仁の丘-与那原-R329-コザ (87Km)
快晴,7時起床,シャワーを浴び,ユニオンまで散歩。
ゲストハウスを出て,会社へ向かう人たちを眺めながら散歩をするのはなかなか良い気分。知らない街の朝は心地よい。


8時過ぎ,最初の目的地喜屋武岬を目指して出発,自動車の多い那覇市内を抜け,空港を右手に見ながら R331 を南下する。
12Kmほど走り,糸満ロータリー付近の A&W 糸満店 で朝食。沖縄へ来たらやっぱり A&W は欠かせない。
日本では沖縄県でのみ展開している A&W は10時までのモーニングメニューがあり,コーヒーのおかわりが可能。


スパイシーハムエッグサンドセット \460- で朝食。
A&W 糸満店は向かいに スーパー丸大糸満店 があるので,買い物にも便利だった。100円均一で予備の靴下を購入。スーパーで水を補給。
さらに南下すること8Km,R331から一旦離れ,さとうきび畑の間を抜けて行き,喜屋武岬に到着。

喜屋武岬は太平洋が見渡せる静かな場所,1945年5月の南部戦線では,本島中部から米軍の進行を逃れ,南下してきた住民が日本軍により,強制集団死に追い込まれた場所のひとつらしい。
*強制集団死については,「集団自決」と表記されるのが一般的だが,ここは強制集団死と表記したい。
「強制集団死」と「集団自決」の言葉の区別について,謝花直美さんが 証言 沖縄「集団自決」 - 岩波新書
のなかで以下のように述べている。
現状では,「集団自決(強制集団死)」と併記する表現を用いることが多い。一九八四年の家永第三次教科書訴訟をきっかけに,集団自決という言葉が,住民みずから死を選んだと誤解させる構造を含むことが指摘され,日本軍の強制性を強調した「強制集団死」という言葉が用いられるようになった。そして,それまで使われていた集団自決は,言葉通りの意味ではないと言うことを示すためにカギ付きで「集団自決」と表記されるようになった。

灯台まで行くと,右側に崖まで出ることのできるルートがあり,断崖に近づける。
喜屋武岬を出て,平和創造の森公園を通り,摩文仁の丘へ,平和の礎の前に立つ。
平和の礎は,国籍や軍人・民間人の区別なく,沖縄戦などで亡くなった全ての人々(2006年6月時点で240,383人)の氏名を刻んだ祈念碑。

初めて沖縄を訪れたのは20年近く前,亜熱帯性の気候と,文化圏の違いに興奮しながらも,同時に自分が大和人であることの居心地の悪さを感じたことを,いまでも覚えている。大江健三郎さんの 沖縄ノート - 岩波新書
のなかの一節を思い出した。
僕は沖縄へなんのために行くのか,という僕自身の内部の声は,きみは沖縄へなんのために来るのか,という沖縄からの拒絶の声にかさなりあって,つねに僕を引き裂いている。穀つぶしめが,とふたつの声が同時にいう。そのように沖縄へ行く(来る)ことはやさしいのか,と問いつめつづける。いや,僕にとって沖縄へ行くことはやさしくはない,と僕はひそかに考える。沖縄へ行くたびに,そこから僕を拒絶すべく吹きつけてくる圧力は,日ましに強くなると感じられる。この拒絶の圧力をかたちづくっているもの,それは歴史であり現在の状況,人間,事物であり,明日のすべてであるが,その圧力の焦点には,いくたびかの沖縄への旅行で,僕がもっとも愛するようになった人々の,絶対的な優しさとかさなりあった,したたかな拒絶があるから,問題は困難なのだ。
摩文仁の丘を後にしてR311を斎場御嶽方面へ,知念郵便局前のファミマで昼食を買い,南城市体験滞在交流センター(EUC-JPエンコード) 裏の芝生で休憩。久高島 を望む良い昼食場所だった。
今回は時間がなく,斎場御嶽へは行かずにR331を北上,アップダウンが多く,景色も変化がなく,距離を稼ぐことができない。
与那原の交差点でR329に入る。道は平坦になるが,コザへの幹線だけに交通量が多い。淡々と走りつつコザへ,コザまであと一歩,県立コザ高校の手前が激坂。Crankset 53/39,Cassette 12/25 なのでキツい。ツーリングであっても,コンパクトクランクの方が良いことを痛感した。
コザは12万人の人口を抱える沖縄市の中心部であるが,交通量は多いものの商店街は閑散としている。本日の宿,コザクラ荘 の受付である Cafe&Bar コザクラ ヘ。

コザクラ荘はFMコザのある(といってもあまり目立たない・・・)建物の3階にあるゲストハウス。鉄筋コンクリートに塗り重ねられたペンキが,所々剥がれ落ちた階段を上って行くと入り口がある。3LDKの普通のアパートメントの一室を改装し,ゲストハウスとしているため,窓から見える景色がいきなり生活感に溢れていて,ここで暮らしているような感覚が楽しめる。
管理人さんから玄関の鍵を受け取る。自宅の鍵と同じメーカーの鍵の,ギザギザした部分を指先で触れる。旅先でドキドキしてくるのはこんな瞬間だ。シティホテルのカードキーや,ビジネスホテルのディンプルキーの触感は「仮定」を明確にする。あくまでも仮の宿であることを,鍵が触覚から裏付ける。一方でギザギザした鍵の触感には,「これからここでうまくやっていけよ。」というメッセージが含まれているように感じるから好きだ。鍵のギザギザした触感には,薄暗く,停滞した空気の匂いが強く,地面の湿った街の細い路地や,裏道へと誘い込む力があると思う。


今回は4名で和洋室を1室,一人 ¥1,700- 。 共同のキッチンに「ご自由にどうぞ」と書かれた「ちんすこう」のバスケットとティーセットがあったり,旅人ボードや近隣のスポット紹介ボードがあったりとゲストハウス的サービスに優れている宿だった。
コザクラ荘で頂いたタウンマップを見ながらパークアベニューを歩く。
若干無理矢理に感じるパームツリーに強めの電飾がストリートを彩り,アメリカとも日本とも言えない独特の雰囲気が漂っている。
アジアンR&Bって一体・・・などと考えつつ本日の食事場,チャーリー多幸寿へ。
チャーリー多幸寿 は1956年開店,50年以上の歴史があり,沖縄タコスの元祖と言われている。入り口のドアに沖縄の老舗で時々見る「Aサイン」が掲示されていた。Aサイン(A Sign)は,米軍統治下の沖縄において米軍による衛生基準に合格した米軍公認店舗の証であり,Aサインを持っている店舗は米兵相手の商売を行うことができた。当時の為替は1ドル=360円の固定相場,現在の為替レートと単純に比較すると米兵は3倍強の所得を持っていたことになる。Aサインを持つことは,そのまま商売の安定に繋がったのではないかな・・・などと考えつつ,チャーリーセット ¥980- と オリオン生 ¥500- 。

その後,商店街や裏路地を歩き回り,米兵相手の店が並ぶゲート通りのバー SMITTY'S で休憩。価格はドル表記,併記で円表記ってところが良い。
キャッシュオンデリバリーでウォッカ強めのモスコミュールを ¥500- 。

2日目87Kmはライムの香りで終了。
本日は畳に布団で眠れる。。。