大泉 風の学校 園主/NPO 畑の教室 代表 白石好孝さん へお話を伺ってきた。
http://www.hatakenokyoshitsu.org/index.shtm
これは6月に出版予定の野菜の本の取材の一環。
白石さんは都内で400年続く農家。
都市農業の可能性を模索し,加藤義松さんと共に練馬方式といわれる現在の体験農園方式を確立した。この仕組みは都市農業の先進的な取り組みとして,世界的に認知され,BBCの番組「世界の都市農業」でも扱われたほど。インタビュー当日も韓国のTV局の取材が入っていた,いわゆるトップランナーだ。
当日の自分の目的は,体験農園とはなにかインタビューをさせていただくことと,体験農園の進め方を見学させていただくこと。
自分のフィールドで,自分の仕事を客観的にみつめた上で目標を決め,じっくりと取り組んできたその人柄にすっかり魅了されてしまった。
白石さんのような大人に自分はなりたい。
練馬区北部,住宅街の中にその農園は広がる。
以下,当日行われたインタビューの全文を掲載。
――――― お子さん連れで来ていらっしゃる方がいますね。家族で野菜作りをできるなんていいですね。
白石さん : 今日は人数が少ないのですが,いつもはもっとたくさん来てくださいます。ご夫婦の方が結構多いですね,あとは若い家族の方や,友達同士でやっている方もいらっしゃいますよ。
――――― ご夫婦でも,ご家族でも,野菜作りを通して,きっと会話が生まれていると思います。
白石さん : そのようですね。大学生の息子さんを連れてくるお父さんがいらっしゃって,初めはほとんど息子さんと会話がなかったのだけど,作った野菜を食卓へ出してみた,そしたら旨かったものだから息子さんの方から親父に声をかけたと,いままで家で会話がなかったのがそのうちいろいろな野菜の話になって,いまでは一緒に畑に来ているようです。 親子のコミュニケーションの切欠になったという話を聞いたことがあります。
――――― 野菜って直接食べられるじゃないですか,食べるという体験も共有できるから,よりコミュニケーションの手段として繋がりやすいんじゃないかなって思います。
白石さん : そうですね,例えば趣味はそれぞれ違っても,食べることって,おいしいもの食べたいって思うことって共通ですものね。
――――― 平成9年に現在のスタイルで始められて,その前までは普通の農園をやっていらっしゃったのですか?
白石さん : そうです,十数年前までは一面キャベツ畑でしたね。
――――― このような体験農園,いわゆる練馬方式が始まったのは具体的に何年くらい前なんですか?
白石さん : 1996年ですね,ですから平成8年です。私がこれをやる1年前ですね。加藤義松さんという私の友人がいちばん最初にこの体験農園,練馬方式のアイディアを考えたのです。私にアイディアを話してくださって,それを基にやりたいことを固めていって,じゃあシステムを組み立てて行こうと,そこで練馬区に話を持っていきました。そこから5年くらい準備をして,1年に1園ずつオープンするという方針が練馬区として決まりました。なので加藤さんが第一園目で,私が第二園目です。翌年,三人目が決まっていなかった。なにしろ加藤さんと私の2人で考えたことだから。周りに声をかけてみたらやりたいって人がいて,現在区内で12園までになりました。
――――― 世田谷区とかでも直売所のマップを作ったりして,農政に力を入れているようですけど,世田谷区と練馬区の違いはなんでしょうか。
白石さん : 練馬区と世田谷区との違いは,まず練馬区は世田谷区に比べ,農地面積が倍以上あるということ,それと世田谷区の方はどちらかというと生産の方に重きを置いているというところでしょうか。例えば世田谷区の農家はまだ市場に出し続けているところが多かったりしますね。ですから世田谷区の場合,本来の農業をずっとがんばってやってきた。一方で練馬の場合はまず直販が広がったということですね。一時期は市場流通の中で,練馬のキャベツがとても多かったことがあったのですが,やっぱり地方の広い面積で大量に作るところが出てきて競争力がだんだんなくなってきちゃった,そうするともうキャベツ単作で作っていくのは厳しくなってきました。同じ時期にこのあたりの都市化が進んできたので近所にも売り始めました。練馬ではJAが早くから直売所を作ってくれたので,野菜の流通をそこに移行することができました。やっぱり都市の農業ってのは地方の農業と張り合ったってかなわないですよね,そうすると都市ならではの農業をやっていくしかない、小さい面積で小回り利かせて地域の,近くの皆さんとどのように付き合っていくかというところが重要になってきます。実はそのような考えかたはそれまで日本の農業の中であまりなかったんです。つまり農家ってのは作るのが仕事で売るのは農協に任せる,消費者と付き合うってのは仕事ではないと,一生懸命作っているのが自分たちの仕事だから地面に向き合っていればいいんだっていうね,どこかそういう風潮がありました。けれども周りが都市化してきて,そうも言っていられなくなったんですね。周りと仲良くやっていく必要もある。お互いに ギブ アンド テイク の関係になれれば地域の人も喜んでくれるし,自分たちもここで農業をやっていけるだろうと。でも今までの市場に持っていく農業っていうのは有刺鉄線を張り巡らせて,自分たちの土地には一歩も入れないぞって言って,そこで作ったものはどこか遠いところに運んで誰が食べるのか分からない、それが市場流通のなかでの農の主流だったわけですよ。そんな垣根を外して,地域の人たちにどんどん野菜を分けていく,あるいは収穫体験で入ってもらう,あるいはもっと踏み込んでイロハのイから全部教えて,つまり野菜を売るのではなくて,野菜作りのノウハウを提供することによって農業経営をしていけないだろうかと考えたわけです。それまで制度としてあった一般の市民農園っていうのは,農家でもう農業が立ち行かなくなってしまった,自分たちでもうできないから市民農園に使ってください,ということで練馬区とか行政に預けてしまう,貸してしまうものです。まあ練馬区が一括で借り上げちゃうと,そこにはお金を出さないですよね。税金だけ免除する。税金を免除すると農家はもうお金は上がらないけど税金だけは免除される,農業に対してはギブアップと。まあ多少謝礼は出るんですけどね,で,それを行政が借り上げて一般の人にタダか格安で貸してしまう。つまりどちらかというと後ろ向き,後継者がいなくて農業ができなくなってしまったからという理由で行うのが市民農園です。一方で体験農園は都市農業の戦略的な,前向きな方法として,所得を上げながら,経営としてやっていきながら地域と上手いこと共存してやっていける方法はないかということで考えられたものです。
――――― 以前BBCの番組,「世界の都市農業」の取材を受けられていたかと思いますが,現在の体験農園の形態はどこか海外でのモデルケースがあってご参考にされたのでしょうか。
白石さん : これがねえ,海外にはこのような事例は全くなかった。ドイツのクラインガルテンはありますが,あれは会員制で,みんなそれぞれ自分でやっていますよね,市民農園に近い形です。私たちのように農家が指導して,直接そこで運営していくってのは,BBCの取材の時には聞いたことがないって,「世界の都市農業」の取材の中でもこのやりかたは見たことないと言っていました。世界的にもとても珍しいのではないでしょうか。その時,唯一あったのは横浜で時を同じくして始まったものがあります。それは横浜市の行政側が主体となったものです。
都市農業にとっては農地の法律上の大きな変化が,生産緑地法の改正っていう税制の大きな変化が平成4年の時にあったのですね。その時に横浜市は行政側が危機感を持った,農地を残したいって。高齢化してもやれる農業モデルを市のほうで考えた結果、体験農園を思いつたようです。そして行政側が農家側に農の指導者になって作り方を教えてやったらどうですかと提案した,行政側が応援しますよと。そういうことで比較的簡単な,まあ簡単って言ったら失礼だけど,農家の指導付でやっていました。これは行政が熱心に農家を口説いてやっているものだから,我々のスタイルとは少し違います。
――――― 行政主体のためにあまり根付かなかったのですか?
白石さん : 実はねえ,意外と根付いているのですよ,行政がやっているから。予算をガバッと付けてきちんとやっていくから,農家はそれに乗っかっていけばいいので,意外と70件くらいあるのですよ,横浜市内で。そこでやっているのを見てね,勉強したんです。あ,そうかって。これは農園利用方式とか入園利用方式っていうのですけど,農地ってね,誰でも勝手に耕せるものではないんですよ。農地法っていう法律があって,農地を所有している人が自ら耕さなくてはならない,だから農業をギブアップした人がやるのは貸し農園になってしまう。それはもう農地ではなくなってしまうんですよね。宅地化される農地みたいな,雑種地みたいな位置づけになる。
――――― そうすると税金が変わってくるわけですか?
白石さん : 高い税金になります。高い税金になるんでそれを免除することによって市民農園に提供するんです。我々のような農地は生産緑地というのです,農業をやっていくための土地,税金が安い。だから貸し農園にしてはいけないことになっている。あくまでも体験的な農業。市民農園を借りた場合自由に作物を作れるでしょう?けれど農地(生産緑地)を借りるっていうのは農家の指示に従って作る,だから体験農園たりえるので。すべてのイニシアティブは農家にある。
農園に来るのは至って自由。黒板にスケジュールとコメントが提示される。
――――― 体験農園たりえる基準はどういったところにあるのでしょうか。
白石さん : 基準はあります。どういう基準かというと,貸し農園と農業経営の違いはまず,作付け計画,なにを作るかの計画を農家が作る。肥料も種もすべて農家が用意する。種を撒いたり作業したりするのは誰でもいいのです。従業員でもいいし,アルバイトでもいい。でも取れたものは一度農家に帰属しているわけですよね。それを販売して所得を得たときに初めて農業経営といえるのです。体験農園はそれをすべて満たしている。例えば,種と肥料は全部私が用意しています。作付け計画,予定表は全部私が決めています。自分の畑でキャベツを作る代わりに,細かい計画を立て,それに基づいて私が農園の利用者に指示をして,利用者が作る。利用者は法的にはいわば私の労働力,従業員のような位置づけになります。採れたものは1年間の始めに交わす契約書に則って扱われます。練馬区内の人は年間 31,000円 払うのですけど,その一部は野菜収穫代金,野菜収穫代金を前払いで先に払っていることになります。理屈からいうとお金を先に払っているから好きなときに好きなように野菜を採っていって構わないということになります。練馬方式といわれる、いまのような形態を作るにはそういう理屈立てを作る必要があった。様々な規制,制約があって簡単には始められなかったのです。
――――― そういう規制は自治体ごとにあるのですか?
白石さん : 自治体ごとにあります。地方税ですから,東京都全体ですね。徴収するのは練馬区ですけどね,市へ行けば市が徴収するでしょう。特別区は東京都です。
――――― ではそれが神奈川へ行っていきなりできるかというと,仕組み作りが必要なんですね。
白石さん : そうです,ただ神奈川は先ほど言ったように横浜市がやっている。つまり,それが入園利用方式,入園して,体験しているわけです,よく,いちごのもぎ取りとか,葡萄のもぎ取りとかってあるでしょう,あれって農業でしょ,農業経営をやっているところに市民が行って収穫していくのも立派な農業経営だけれども,それを一歩も二歩も踏み込んで,さあじゃあみなさん,苗を植え付けましょうとかやっていって最後に収穫して,販売するという,もぎ取りの農園の延長線上にあるのですね。
――――― 制約のなかで動くためのトリックがありますね。
白石さん : そうです,それじゃあないと法律上の制約をクリアできないのです。そういう理屈を立てながらやっているのが体験農園の特徴で,市民農園との根本的な違いです。
綺麗に整地されたハウス内部。
――――― 話が少し戻るのですが,BBCが「世界の都市農業」という形で取材をされた,都市農業自体がクローズアップされるというのは、世界的に前提としてなにか問題があるということなんでしょうかね。
白石さん : そうですね,東ヨーロッパとか,共産圏は都市農業がものすごく日常的にあるんですね。でやっぱり寒い地域ですし,自給していくってことがとても大事なんですね。クラインガルテンは西ドイツの方が有名だけど,実は東ドイツの方が農園数が多かった,もう街じゅうにいっぱいじゃがいも畑がある。
――――― 一時期減少傾向にあったクラインガルテンも、このところ微増しているようですね。またロシアではダーチャなど、週末農園がいままた着目されています。
白石さん : ヨーロッパでは食べることは生活の一部として,ものすごく大切に捕らえられてきたんですね。自分の家の自給の一部としてやっている。ところが日本は自給することを諦めた国なんですよ。海外から買ってくればいいじゃないかと,工業製品を売って,その儲けで買えばいいじゃないかという考え方が主流になってきています。だから自給率が落ちてきていても,意外と無頓着。ヨーロッパは危機意識を持っていますよね,フランスにしてもイギリスにしてもドイツにしても自給率は高いです。穀物にしても農産物にしても,で,自国でだめならEUのなかで自給しようよっていう意識が高い,食べ物に対する意識が高いんですよね。一方で日本人は農耕民族でありながらそれを放棄してきた,なぜ放棄してきたかというとね,日本民族はみんな農家で貧しかった,農家から離れることによって豊かになるんだという幻想があるんでしょうね,どこかにね。江戸時代より,もっと前からずっとそう思ってきた。農民は貧しくて,知識や学問も無い,貧しい人たちなんだと,そこから這い上がることが豊かになることなのではないかと,どこかで日本人は思ってきた。そしてその考え方のまま,特に明治から大正までの流れの中では来てしまったのでしょうね。
植え替えが終わったキュウリの苗,6月には花を咲かせ,8月には収穫ができる。
――――― 例えばいま市民農園ではなくて,こういった形でやられていますよね,これはいわゆる一般的な農園からひとつ抜け出したような,ひとつ違った形で進化したようなものだと思うのですが,その先というのはなにかあるのでしょうか?
白石さん : そうですね,その先っていうのはやはり食育でしょうね。この先は都会の人たちの自分の食べ物に対する意識が広く,熱く,高まっていくことだと思います。自分の健康は,おいしいものを食べることに繋がるでしょう。いままでは食べ物は二の次で豊かさを追い求めてきたでしょう,やっとここにきて,経済的には落ち着いて,落ち着いたというかバブルがはじけて金が自由に使えなくなったでしょう。金をふんだんに使って遊ぶってことができなくなってきて,限られたおこずかいの中からどうやって豊かな生活を作っていくか考える必要が出てきた。そうなると,これまでの浪費していく社会から,浪費できなくなってしまったときに,自分が幸せに楽しく生きていくときに何が大事かなって考えるようになる。ゴルフをやったり,海外旅行したりすることもたまにはいいけども,普段の自分の足元の生活に着目するとね,食べることを豊かにしたいとか,安いお金で心や体が健康になっていくことが大切なんじゃないかってきっと思い始めてきたのでしょうかね。そんな感じがしますよ。
――――― 例えば自分が作った赤蕪をその場で洗って食べるだけでも,体験としてはとても違ったものだと思います。それは精神的な豊かさに繋がっていくのだろうなあと思います。
白石さん : それはやっぱりねえ,小さな感動があったり,喜びがあったりするじゃないですか。それは立派なカルチャーだったり,趣味だったりする。自分の楽しい時間をそこで費やすことになってくる。いままでは野菜を作るなんてねえ,苦しい労働でしかなかった。いまではそうではなくなってきたということですね。
――――― 白石さんご自身で苦しい体験はゼロではないと思うのですが,それがいまの話の感じですと,農業のなかに楽しさを見いだしている,そのポイントはどこなのでしょうか。
白石さん : 実は私も農業はあまり好きではなかったのですよ。家業だから仕方なくやらされていた,世襲制でしょう。日本の農家はみんなそんなふうにやってきたのですね。楽しくなくて,農業が良くなるわけないよね。私自身も逃げ出すわけに行かないでしょう。もし私が農村地域にいたら,農業をいかに楽しくしようとしても,ある程度限られた展開しかできなかったでしょうね。でも幸いにして都市にいると,いろんな販路があるし,いろんな契約形態が持てる。そうすると自分が楽しいと思える農業に,変えていくことができるんじゃないかと。まあ、主流である農業からはみ出してきてしまうのだけど,そうはいっても自分の納得できる農業をやるためにははみ出していくしかないでしょう。若いころは学校の先生になりたかったのですよ。実は幼稚園の先生の免許なんて持っているんです。自分は農業にあまり向いていないと思っていました。黙々と畑を耕すのはなあと,まあ跡継ぎですからねえ,ものごころ着いたときからやらざるを得ないと思っていた。でも自分がやりたいことってもっと他にあるんじゃないかなって思っていました。けれど諦めました,やりたいことを。で,黙々と10年くらいやっていたんだけど,やっぱ納得できないんだよね,ただ作っているだけだなあと。なにか面白いことがないか,地域と上手くやっていく方法はないか、そう思っているところで,友人の加藤義松さんが偶然にも同じことを考えていた。加藤さんもこのまま黙々と地面に向き合って,畑に向かって作っている農業から,もっと何か面白い,都会ならではの農業ってできないかなって考えていた。そして加藤さんからこういうアイディアがあるんだけどどうだろうって持ちかけられたわけです。それは面白いなあと。それでこの体験農園の考え方を,もう16年くらい前ですかね,30代の頃に始めたわけです。ちょうど全国の農協青年部の代表とかをやっていて,そのときにGATSのウルグアイラウンドがあった,貿易の自由化交渉ですよね。すべて関税に置き換えて,自由化すると。当時の日本や韓国は,工業製品の製造に経済的活路を見いだしていた。資源の無い国だから,資源を買ってきて,加工して,世界に売って国が豊かになっていく、そんな状況でした。そうすると世界から見て日本は一人勝ちじゃあないかと,市場を開放しろと言われたわけです。その市場開放のなかにはいろいろなものがあって,金融とか,通信とかあったのだけど,当然農業もあった,農産物の自由化もあった,つまり,世界で金儲けをしている代替に市場開放をしていく、それがウルグアイラウンドでした。そのときに農業に対する日本人の理解の乏しさを実感しました。日本全体で、農作物なんて安い国から買えばいいじゃないかと言っていた。豊かになるってことは工業製品で豊かになって,その工業製品を売った豊かな金で,農作物を買えばいいじゃないかと,だから日本に農業なんかね,オーストラリアとか,安いところから買えばいいじゃないかっていう考え方が主流になってきた。それまで我々農家はね、政治力を使ってその農業を守ってきた,でもその政治力もだんだん,政治の力も経済の方へどんどんね。1980年代頃から日本の政策も農村から完全な都市型に切り替わってきたんですね,中曽根さんが総理やっていた頃ですよね,世界全体もちょうど自由貿易化へ動いていったでしょう,そのウルグアイラウンドで結果的には,日本も韓国も米の輸入が一部自由化して,でも韓国の反対運動はすごかったですよ,ものすごい組織の力,ところが日本は農協が頑張ってやったのだけど,微々たるもの,新聞の報道でも扱いが違う,韓国の新聞は大きく扱ったよね,米の自由化になったら韓国の農業はつぶれるぞって,非常に危機感を持っていた。日本なんて全然ですよ。工業化社会を守るためには自由化しなきゃって。フランスやドイツの新聞も、日本とは姿勢が大きく違いました。わが国の農業を守るための交渉を,GATSのウルグアイラウンドでいまやっていると,ECはアメリカといま戦っているんだと,自分たちの自国の農業を守るために,アメリカにやられてたまるかと。日本はアメリカとなあなあだから,結局アメリカに追随していった。ところがECはぶつかっていった。農産物も工業製品も譲らないって。だから新聞だってとても大きく報道していった。韓国もそう。日本はもういとも簡単に諦めちゃった。そのときに我々都市農業の仕事ってなんだろうなあと思いました。我々が都市でやる農家の仕事ってなんだろうなあと。本当の農業とか本当の食べ物の大切さとかをね,消費者であるみなさんひとりひとりの問題なんですよっていうことを地道に確実に伝えていく仕事を我々がやるべきじゃないかと,都市の近郊の農家がね。それはただ押し付けがましく農業のことを理解してくださいよっていうことではなくて,消費者のみなさんにとって,それは大切なことなんだとか,豊かなことなんだとか,そういうふうに思ってもらえるようなことを我々が仕掛けていかないといけないんだということを思った。そこへ加藤さんがこういうアイディアがあるのだけどってね,それはいいと思ったわけです。それって一石二鳥でしょ。自分の経営としてやっていきながら,都市の人たちの楽しい余暇の場所として,年間 31,000円 なんて,一ヶ月あたり 2,500円 でしょ。趣味としては安いものじゃない。一ヶ月あたり 2,500円 で一年間家族みんなで楽しんでいくでしょう。で,1年間終わってみたら八百屋さんで買う野菜の8万円分くらいを収穫していく,そうすると普通趣味は使ってしまっておしまいだけど,バックがある。バックがあって且つ楽しめるでしょう。そして私の所得にもなる。これを続けていて、気づいてみたら農業って,野菜作りって大変ですね,食べ物って大切ですよねっていうようにだんだん周りの人たちが変わってきた。いま鳥を飼ったりブタを飼ったりして,ブタもみんなで名前を付けて,ブラッシングして育ててあげて,最後はお肉として食べる。ペットと家畜は違いますよね,家畜は何千年もずっと人と一緒に食べられるためにきた,かわいそうっておかしいでしょうって,そうすると畜産って言うのがどういうものかと,なんとなく距離が縮まるのではないかと,そういうことを楽しみながらやっていく,それがいま練馬区内には現在12園あって,1300区画がある,1300の家族や友達がそこに関わっているでしょう,そうすると5000人くらいの人たちが都会の練馬で,直接こういうことに触れられる。こういう情報に触れられる,それを世田谷とか,杉並とか,どんどん広がっていったらね,都会に住む人たちが身近なところで土に触れていける,農家にとっては経営になっていく,同時に食に対する意識が本来のところに戻ってくる。特別農家を大事にして欲しいとは思わないんですよ,特別食が特に大事でなくても良いわけ,でも今よりも少なくとも,もう少し生活の中で,あるべき位置があるんじゃない?お互いに,作る側も食べる側も,豊かに暮らしていく中でもう少し意識の中に食,食べるものが新鮮で美味しいものが食べられてね,そういう意識が少しずつ高まっていくことがね,大事なんじゃないかなあと考えているのですよ。
エネルギーの問題になって,サトウキビでエタノールを作って,燃料にする。世界的な食料に対する課題がでてくる,我々も人ごとでは済まないぞと,環境問題を考えると,CO2の問題を考えると,エタノールやバイオ燃料が重要になってくる。そうすると食料の生産がそっちを原因にして価格が上がってくる。やっぱり国内の自給率どうすると,やっと意識が変わってきたね,本来のバランスを取り戻そうとしているんだよね,偏ったバランスだから,それをこれから10年,20年かけてやっていく,丁度そのスタートラインにいまいるんじゃないかな。1971年にマクドナルドが日本で初めて銀座にできたでしょう,その時に藤田田さんはこう考えたそうなんですよ。日本人はごはんと味噌汁を食べていると,魚を食べていると。肉を,ハンバーガーをどうやってこの国に普及するかと考えた,まず,子どもたちに食べさせるためにおもちゃを付けた。で,安売りをした。若い家族が手軽に来れるようにした,まさにファーストフード。若い人たちに食べさせた。30年係りで食育をやったのです。日本人の舌をマクドナルドに合うようにしたんです。100円で売って,お母さんが入りやすくした。20年,30年が経ってマクドナルドの味に慣れた国民が増えてきたわけだよ。そうすると1972年から三十数年過ぎて,その子どもたちがみんなお父さん,お母さんになってきている,そうすると土日はマックに行くでしょう。30年がかりで食育をやったのです,マックは。極めて企業的な戦略なのです。いまでも食育基本法ができて,いちばん最初に飛びついたのはマックや,ファーストフード系の企業なんですよ。つまり舌を変えていこうという。で,いちばん遅れているのは市民活動とか,我々農業とか。本来やるべき食育に,いちばん最初に取り組んだのは企業なんです。
――――― スローフードとかロハスとか,いろいろなブームがあって,企業が先に飛びついたせいで,一般の人たちが警戒してしまった感がありますね。
白石さん : そうですね,スローフードとかロハスっていうのは一過性のね,グルメブームと同じ座標のなかでしか語られないと思います。所詮そんなもんなんですね。我々が目指しているのはそんなもんじゃない。もっともっと生活の中で広く薄く確実に定着させていくものにしたいのです。だからそういうわけではやっぱり時間をかけた,草の根的な活動,私は個人的には運動だと思っているんですよね。一過性のブームではなくて,じっくり時間をかけて作り上げていく運動だと思っています。だから体験農園もある意味では無償のフランチャイズとして広げて行きたいと考えています。つまり,金儲けをするためではなく,本来の食の豊かさを社会に伝えていくための無償のフランチャイズのようにしていきたいなあと考えている。いま東京都内に約40件あるんです。世田谷にも2件あるし,多摩地域にも増えてきている,これをマクドナルドが広がっていくようにね,ケンタッキーが広がっていくように,日本中の都市部に体験農園が広がっていって,こういう経験が,一ヶ月わずか 2,500円 くらいの出費でね,できていけば,例えばマックやケンタッキーを買うのもそれはそれでいいでしょう,それらと同じように生活の一部に入っていけたら,社会が豊かになることに繋がるのかなあと思います。その辺がその先のお話なのです。
――――― 入園について,どのようなシステムになっていますか?
白石さん : 入園については年の初め,2月にお問い合わせを頂くことになっています。だいたい申し込みが3月です。で,利用が始まるのは4月の下旬くらいからです。翌年の2月一杯くらいまでが利用期間になります。
――――― 現在1300しか練馬にはないということですが,抽選になったりはしますか?
白石さん : いますべて満員ですね。もうすでに一杯ですから。野菜って1年をかけて作っていくので,途中参加ってしにくいです。それが,体験の特徴です。短期間にはできない。じっくり1年をかけて付き合っていくことになればやっぱりスタートは春になる。
――――― どこに問い合わせれば良いでしょうか。
白石さん : 練馬区に問い合わせてください。区内からでも練馬区の都市農業係に問い合わせてください。もしくは練馬区のHPを見ると,各農園の住所が出ていますので,各農園に直接問い合わせてください。
――――― それ以外に,体験バスツアーなどもやっていらっしゃいますよね。
白石さん : はい,体験バスツアーなども受け付けています。それは練馬区へ問い合わせていただくか,私のNPOの畑の教室の方で受け入れをさせていただいています。
――――― 畑の教室と,風の学校の違いはなんでしょうか?
白石さん : 体験農園っていうのは農家の経営なんですね。経営としての事業なんです。で,NPOの畑の教室方は社会事業ですね。子どもたちに農業体験を勧めるとか,野菜作りのノウハウをいろいろな方に伝える,例えば栄養士さんに伝えるとか。つまり,社会に農業のいろいろなものを伝えていくための非営利活動です。風の学校は農業体験農園という私の農業経営です。畑の教室は子ども夢基金という国からの助成を頂いて地域の子どもたちに野菜作り,練馬大根を作るとかして,子どもたちの食育を進めていく,この運動は無償のボランティアではなくて,基本的に実費だけは貰っていきます。それはこの活動が広がっていくひとつの要素だと思うんですよね。ボランティアとなると,心ある人しかできない,けれども実費がきちんと支払われれば,協力する農家が増えてくるじゃないですか,例えば大根が1本80円になれば,経営として何とか成り立っていくのですけど,畑の教室の中では1本150円で農家にやってもらっている,つまり農家にしてみるとおよそ倍の値段で大根が売れるんですね,それを市場へ売るのではなくて,子どもたちを受け入れてあげて,種まきをさせてあげて,収穫をさせてあげて1本150円というやり方をしている,そうすると子どもたち2本作ると300円です。300円の教材費を学校で集めればいいわけですよ。私の子どもは5年生ですけれども,だいたい600円から700円の教材費を払うんです,春に。そうすると夏休みの前に,こんな小さな鉢に入った息絶え絶えのミニトマトが帰ってくる,つまり600円,700円の教材費を払って,その見返りが,一応実を付けている小さなミニトマトなわけです。それだったら農家に300円払って,農家のおじさんから野菜作りの話を聞いて,間引きをしたりね,体験しながら大きな大根を収穫して,帰る。農家の側も潤うし,学校の教材費も安上がりで済む,その橋渡しをNPOが行う。それが畑の教室の活動のひとつです。
――――― NGO や NPO の先端的な考え方として,あるモデルが現地に根付くかどうかは,そのモデルを受け入れる現地の人たちのすべてが何らかの形で潤うか,関わるすべての人たちに何らかの形で利益が上がるかが重要とされていますが,いまお話を伺うと,都市農業の中で既にそれができているということですね。
白石さん : ひとりひとりの現場の人たちが,確実な果実を得ることができないと,モデルは根付かないでしょう。それはねえ,行政も一緒なんです。行政って,市民サービスでしょ,市民の人たちが豊かになればいいわけでしょ,体験農園ってのに支援することによって,練馬区民が払うべき負担が減って,楽しい時間をそこで過ごすことができるわけでしょ,行政と農家が一体となることによってそれができて,農家も潤う,市民の利用者も行政も社会的に評価を得られる,良いことをやっている,それぞれが結果として果実を得られているというのがこの体験農園の仕組みです。NPOの活動もそれぞれが果実を得られるような仕組みにしていかないと,広がりも発展もないし,それは大それたことはできないけれど,地元でコツコツと結果を積み上げていく,ささやかな活動なんですよね。
――――― 日本人ってボランティアが好きじゃあないですか,ボランティア精神的な。そういうところをちゃんと整理させて進められていますよね。
白石さん : 例えば農家がね,学校の授業でやっているのに金なんかもらえないよ,って言い始めちゃうわけですよ。でもね,10年,15年後,それで続きますか? 結果として学校から金なんか貰えないからなあ,そうそうは受け入れられないよと,受け入れるとなったらタダで受け入れなくちゃいけないんだろ,それじゃあ大変だよって言うんじゃあ,元も子もない。本末転倒だよね,金貰うわけに行かないしって言って,せっかくの食育のチャンスを逃してしまう。だったら実費を頂いて,長続きする活動にした方がいいんじゃあないかと思います。
いま,様々な人たちを農園に受け入れています。市民農園と違ってね,市民農園だとみんなバラバラでしょう。体験農園だとまるでクラスメイトのようになるんだよね。世代を超えていろいろな人たちの交流が始まっています,これは後から得た果実。そうするとね,結果的に30代の頃、黙々と畑を耕していた頃に自分がやりたかったことができてしまっているんだなあ,ただ黙々とやっている仕事から,人とコミュニケーション取れる仕事になっている。これまで、楽しいことって外にあると思っていたのです,だけど,畑にみんながやってきた,向こうから。フィールド・オブ・ドリームスって映画ありますよね。ケビン・コスナーがとうもろこし畑をつぶして野球場をつくる,「if you build it they will come.」 きみがそれを作れば彼らはやってくるって。最後,みんなが車でやってくるでしょう,あれをねえ,30代のころ見て感動してね,いまそれが実現している。夢がかなったんです。都会で,農業をやって,結果としてずっとやりたかった夢がかないましたよ。
インタビューの終わりに,その日収穫された赤蕪をひとつ戴いた。
少し前に土から出された赤蕪はあまりに水を多く含み,甘く,香りも良い。
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